【訃報】亡き娘と同じ場所から旅立った千代の富士。唯一遺した遺言が彼らしい。大横綱・千代の富士の死を悼み、著名人の追悼の意をまとめました

まな娘と同じ場所から旅立った。千代の富士さんは、自宅で通夜、葬儀を行うことを遺言で残していた

「大きな所ではなく(力士、親方として)育った所でやってほしいという意向です」と後援会関係者。別の関係者は「早世した娘さんの葬儀をした自宅で旅立ちたかったそうです」と故人の思いを付け加えた。

戒名にも故人の思いが反映された。「千久院殿金剛貢力優梢禅大居士(せんきゅういんでんこんごうこうりきゆうしょうぜんだいこじ)」。久美子夫人、長女・優さん、長男・剛さん、次女・梢さんの名前が1文字ずつ入り、愛さんの名は「先に亡くなったので入れていない」と部屋関係者。天国で末娘に家族のことを報告するかのようだ。

27年前、愛さんを乳幼児突然死症候群で失った。わずか4か月の命だった。亡くなる3か月前の1989年春場所で27回目の優勝を飾った際、生後間もない娘を大阪まで呼び寄せ「この娘だけ(優勝の記念写真を)撮ってないとかわいそう」と賜杯と一緒に写真に納まった。そのまな娘と、これからは空の上で心穏やかな日々を過ごす。

当初、通夜と告別式は家族、関係者だけで行う密葬を予定していたが、「全国から来るファンの方にもご焼香ができるようにしました」(後援会関係者)と前日に対応した。前日までの記帳者は2000人以上。この日も弔問客は通夜が始まる前から300人以上が列を作った。

祭壇は部屋1階の土俵上に設置。「親方がいつも稽古で投げかけていた視線と同じ目線で送り出したい」と、遺族の希望で上がり座敷と同じ高さにひつぎが置かれた。遺影は腕組みしたスーツ姿。2009年に国技館で撮影されたもので、後援会関係者は「力士として親方として道を極めた方ですが、相撲を広めるという一般的な感覚で選びました」という。

遺族の意向通り、通夜はシンプルな装飾で営まれた。

ちなみに、千代の富士の葬儀を協会葬にしなかったのは、夫人が固辞したかららしい。

その理由は・・・

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